桜野牧の山桜
桜の牧跡
水戸市見川町2131-165
丹下田園都市センター
山桜
樹齢160年
市指定保存樹木
徳川斉昭(烈公)お手植えの山桜
水戸桜川千本桜プロジェクト様の記事からその存在を知った徳川斉昭公ゆかりの山桜。
同プロジェクトの記事を参考にさせていただき、水戸本来の山桜風景に想いを馳せます。
偕楽園を造成した徳川斉昭公は、領内で牛馬を育てるために、城下近くの丹下原から大戸原に渡って牧場を造成。
丹下原とは現在の水戸市見川、河和田、小吹、萱場で、一の牧二の牧と呼ばれていました。
大戸原は茨城町大戸と水戸市萱場で、三の牧です。
これらの総称が桜野牧。
写真1枚目、丹下一の牧開拓記念碑。
桜野牧は牛馬を放牧するために周囲を土塁で囲み、そこにはたくさんの山桜が植えられました。
これは現在国指定の名勝地となっている桜川の山桜が植樹されたものだそうです。
斉昭公が偕楽園、桜山を造成する10年も前、桜野牧の山桜は名所となっていたそうで、現在も土塁の一部が残っており、そこに咲く山桜を観ることができます。
この桜の牧には斉昭公お手植えと伝わる山桜が何本かあるそうで
その内の3本は見川町の田園都市センター敷地内で今回撮影したものです。
ここで産出された馬には桜の花を象った焼印を押したそうで、現在の桜ノ牧高校の校章はこの印を模したものだそうです。
また、大戸原といえば、国指定天然記念物の大戸の桜です。徳川光圀公が愛でたと伝わる樹齢500年の名木。
江戸時代には、大戸の桜から水戸城下に至るエリアが山桜の花見名所であった。
そしてそれらは名勝桜川の山桜を植樹したものだった。
このことはとても重要で、現在のソメイヨシノが植えられた桜風景とは違う、光圀公や斉昭公が愛した山桜こそ水戸の原風景であり、桜野牧の存在はそれらを証明する数少ない場所です。
水戸の歴史ある桜風景が人々の記憶から消えてしまう前に、本来の姿を見直すべきではないでしょうか。
斉昭公お手植えの山桜は、雨の中静かに咲き誇っていました。
水戸桜川千本桜プロジェクトは、歴史に基づいた景観形成に協力し、山桜の植樹活動などをされています。
参考
水戸桜川千本桜プロジェクト
水戸桜川千本桜プロジェクトFacebookページ
水戸商工会議所HP
3本あるうち道路側の1本が見事な枝ぶりです。
日本古来から愛されてきたヤマザクラ。
根本からはひこばえが成長しています。
上部は枯れてしまっており、花をつけてませんでした。
桜の牧跡の碑。
撮影 2015年4月